ターミナルデパートの誕生、駅が生んだ日本独自の百貨店。
都心の駅に行くと外に出ることなく直結した百貨店がある。これは海外ではあまりみられない景色だ。そんな駅が生んだ日本独自の百貨店・ターミナルデパートの誕生に焦点を当てる。【シリーズ:駅と百貨店】

世界初のターミナルデパート
ターミナルデパートの誕生に関わる3つの百貨店
ターミナルデパートとは鉄道駅に直結し、駅前に立地する百貨店のことをいう。
駅と直結していることがほとんどで、駅の改札を出ればそのまま百貨店に入ることができる。いまや大都市圏ではよく見られる構造だが、このターミナルデパートが生まれたのは1920年代、およそ100年前のこと。世界初のターミナルデパートとして白木屋、三笠屋百貨店、阪急百貨店が挙げられる。この3つの百貨店はターミナルデパートの誕生に深く関わっており、その成り立ちを時系列順に紹介する。
1920年 白木屋梅田出張店
東京の有力百貨店が駅の売店として出店
白木屋とはかつて東京日本橋に本店を置いた百貨店。
戦前は三越や高島屋と並ぶ有力百貨店として先駆的な取り組みが特徴的であったが、1956年に東急傘下となり、1958年には東急百貨店となる。
そんな白木屋が1920年に大阪にある阪急の梅田駅ビル(当時の呼称は阪急ビル)の1階182平米に梅田出張店を開店した。これは阪急の小林一三が当時からターミナルデパート構想を持っており、マーケット調査を計画したこと、また白木屋が大阪進出を計画していたことから実現した。白木屋は梅田出張店で食料品と日用品の販売を行い、売れ行きは好調であった。そこで阪急は賃貸契約の満了、また別の白木屋大阪支店が落成したことから白木屋梅田出張店を閉店し、阪急直営の阪急マーケットを開店。それが後の阪急百貨店に続いてゆく。

なお、この白木屋梅田出張店の開店にあたって小林一三がターミナルデパートの実験とするため、賃料を売上歩合制として白木屋の売れ行きを調査していたという有名なエピソードがある。しかしこのエピソードは出典が乏しく、実際に白木屋梅田出張店の賃料は月1200円の固定賃料であったという記録を阪急が後に公開していることから真偽には疑問が残る。
1926年 三笠屋百貨店
初めて駅に開店した百貨店
1926年に大阪上本町駅に大阪電気軌道(現在の近鉄)が大軌ビルディングを建設。その地下1階と2階、3階を賃貸して三笠屋百貨店が出店した。
三笠屋百貨店はもともと三笠屋食料品店として上本町で営業する商店であったが、その規模を拡大し、食料品だけでなく日用品や雑貨品、服飾などの取扱を増やしていった。規模や取扱品目から初めて駅に開店した百貨店といえる存在であり、世界初のターミナルデパートとする見方がある。

1929年 阪急百貨店
世界初の電鉄系百貨店
三笠屋百貨店開店の3年後、阪急電鉄は地上8階地下2階におよぶ本格的な百貨店を建設した。売り場面積1万平米、当時として相当大型の建築物だった。
阪急沿線の住民をターゲットとし、取り扱いは食料品や雑貨品を中心に高級品はほとんど取り扱わなかった。2年後の1931年には第2期拡張に着手、売り場面積は2倍になるなど業績は非常に好調であったことが伺える。この成功を受けて戦後、阪急百貨店は神戸や四条河原町など阪急沿線や大井町、数寄屋橋など関東地方にも進出する。呉服系百貨店とは異なる戦略を生みだした阪急百貨店は、世界初の鉄道会社直営の百貨店として現代にいたるまで大手百貨店の地位を占めている。


引用
(1) 株式会社阪急百貨店社史編集委員会(1976). 『株式会社阪急百貨店25年史』. 阪急百貨店.
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